2012年 03月 11日
あの日から・・・・
大きく甚大な災害は、記憶の中に鮮明に残っています。M9.0という未曽有の大地震は、
想定外という言葉と共に、多くの犠牲者を出しました。私自身も福島県の出身ということもあり、
当時 多くの懸念が頭をよぎりました。家族の安否は・・?地震による被害の全貌は・・?原発の状況は・・?
正確な状況など見つかりません。あの時、正しい判断を選択した人は何人いたでしょう?
そもそも正しいのかどうかなんて無いのかもしれません。電話・NETも混線し、被害が大きすぎて
想像から逸脱した情報ばかり、経験のない事故による手探りな状況は、周辺の人間を不安と恐怖が支配していきました。報道で流れる情報に耳を傾けてみても、なんの解決にもならず・・・
そんな時、多くの被災者がTVで報道されるのを見ました。
絶望の中から、暗中模索。懸命に命を探し、前進する姿に、不躾ながら感動してしまいました。
私は寄付という選択をし、少しでも力になりたいと思いました。
毎日の生活は、皮肉にも大きくは変化せず、サロンのオープンも重なり、
実家への連絡、サロンワーク、情報収集を続けていました。
こんな中、私は違和感を毎日に感じるようになりました。
それは生活の変化の無さです。日本のこれだけの危機に、鈍感でいられる弱さ。通常の出勤状況・・・
関東にも大きな地震が来ると想定すると、多くの最悪を想像して止みません。
東日本大震災での東北の被災された方々の素晴らしい行動を見習い、またシミュレーションを重ね、反省材料を生かす。最小限の被害で食い止める。
日本の危機を救ってくれた、自衛隊の皆さん 消防隊の皆さん 救急隊の皆さん 地元警察の皆さん
原発危機に果敢に挑んでくれた方々 本当にありがとうございます。
日本人は組織の中で最良の結果と、最高のパフォーマンスが出来るんだと強く感じました。
この結束で、もし仮に関東に地震が来たとしても、必ず迅速な復興がなせると思います。
あの日を忘れない・・・・ 3月11日 14時46分
大切な日本の為に。。。
